エデンの園は旧約聖書の『創世記』に登場する理想郷の名。
楽園の代名詞になっている。パラダイスとも言う(ラテン語ではパラディースス、ギリシャ語では、パラデイソス)。地上の楽園とも言う。
『創世記』の記述によればエデンの園は「東の方」にあり、アダムと人妻イヴはそれを管理するためにそこにおかれ、そして、食用果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。
また、エデンから流れ出た1つの川は、四つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあったハビラ全土を流れるピション川、クシュの全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川、ユーフラテス川)に分かれていた。
ヤハウェ・エロヒムは、アダムと人妻イブが禁じられていた知恵の木の実を食べたことから「人はわれわれのひとりのようになり」、その後、生命の樹の実をも食べ彼らが永遠に生きることを怖れ、エデンの園を追放する。これを失楽園と言う。
生命の樹を守るため、ヤハウェ・エロヒムはエデンの東にケルビムときらめく炎の剣をおいた。
失楽園とは、創世記第3章の挿話である。
蛇に唆されたイヴとアダムが、神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、最終的にエデンの園を追放されるというもの。楽園喪失とも言う。
『失楽園』は、イギリスの17世紀の詩人、ジョン・ミルトンによる旧約聖書の『創世記』をテーマにした壮大な叙事詩。
神に叛逆して一敗地にまみれた堕天使ルシファーの再起と、ルシファーの人間に対する嫉妬、およびルシファーの謀略により楽園追放に至るも、その罪を自覚して甘受し楽園を去る人間の姿を描いている。
ミルトンは悪魔学の専門家ではなかったが、その当時に見られた悪魔に対する様々な説を総合した独自の解釈を作中に盛り込んだ。
ミルトンによる解釈はその後のキリスト教に影響し、殊にルシファーに関する逸話に大きな影響を与えた。
ミルトンの詩の中では、ルシファーは神の偉大さを知りつつ、服従よりも自由に戦って敗北することを選ぶ、一種の英雄として描かれる。
一方、人間アダムは、人妻イヴの誘惑によって禁断の果実を食べてしまう弱い存在ではあるが、いったんは神の命令に背くものの、自ら罪を犯したことを認め、悲哀を胸に抱いて己の罪の報いを自らの意思によって引き受ける、偉大な魂の持ち主として描かれる。
この他、神の意思のもとアダムを追放する任を厳然公正に全うしながらもなお彼らへの憐憫を思わせるミカエル、冷静沈着にして勇敢凛乎としたガブリエル、神の命によってアダムたちを優しく諭す「友誼心厚き天使」ラファエル、何億という反逆天使の憎悪を受けながら毅然と神のもとへ立ち返るアブディエルなど、心清く正しいながら(あるいはそれゆえに)読者たる人間にも十分に共感できうる天使たちが登場する。 一方、堕天使たちも大いに魅力的である。サタンの片腕にして賢者のごとく威厳を湛えるベルゼブル、勇猛果敢にして天国を圧倒するため生命も惜しまぬ猛将モレク、容貌絶美にして悪徳の権化たるベリアルなど、我々人間の持つ悪を極めたような悪魔たちが、世界最初の反逆者・悪行者たるサタンの同胞として、物語に更なる精彩を与える。
ミルトンはこれらの描写によって被造物における崇高を描きながら、それを超えた創造者としての神の偉大さを称えようとした。特に、神の御子(すなわちキリスト)が、サタンの引き起こした原罪を贖うため自らを「贖罪」の贄とする旨、父なる主に申し出るくだりは、キリスト教の本質を的確に表現している。創世記において神がサタンへ宣告した「私は女の胤とお前との間に敵意を置く。
お前は人妻女の胤のかかとを砕き、人妻女の胤はお前の頭を砕くだろう」との言葉の本質を示している。
なお、ミルトンには、『失楽園』に対応する作品として『復楽園(楽園回復)』というものもある。
ダンテの『神曲』とともに、キリスト教文学の代表作として知られる。
ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』では、煉獄山の山頂にエデンの楽園があり、天国に最も近い場所となっている。
なお、エデンとはヘブライ語で人妻の快楽、アッカド語で園という意味である。
この過程でキリスト教徒たちはエデンの園を、パラダイス、人妻が存在する地上の楽園と考えたのである。
しかし同じ系統であるユダヤ教徒やムスリムにはその様な概念はない。
中世のキリスト教伝承では、アダムの三男セツがエデンの園に渡ったと言う伝説が生まれた。
エデンがどこであったのかについては、古来、様々な場所が主張され、議論されてきた。
その中には、創世記に典拠がみとめられないものも少なからずある。
なお、多くの説では、エデンが中東のアルメニアの近くにあったと主張している。
またユダヤ教の伝承によれば、エデンはアルメニアの現在の首都エレバンにあったという。
エレバンの近くにはノアの箱舟が流れ着いた場所との説があるアララト山がある。
アメリカの小説家アーネスト・ヘミングウェイの作品に、邦題が同名の長編小説がある。